菊池 悠介
東京大学建築学科卒業後、国内ソフトウェアベンダーに就職。2年弱で退職し時計を学ぶためパリへ留学。パリ時計学校卒業後、Antoine De Macedo Horlogerで時計修理の修行。帰国後はオリジナルの機械式時計を製作するため、Chronomètreを創業しオリジナルウォッチの制作をする傍ら、クロノス日本版にコンスタントフォース機構に関する記事を寄稿。時計理論サロン会員。ChronomètreはKIKUCHI NAKAGAWA創業に伴い発展的に解消。
中川 友就
刀匠での修行の後に時計師へ転向。時計専門学校卒業後、フランスでの修行を経てシチズン時計株式会社に就職。腕時計の設計、製造、調整など大規模製造業務に一通り従事。その後、東京時計精密株式会社へ転職し、独立時計師の小規模な製造現場に携わる。のちに退社、KIKUCHI NAKAGAWAを立ち上げ現在に至る。